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 無数の若いヨーロッパ人の魂を、いかにベートーヴェンの音楽が鍛えたかということを、私は諸君に示してみたいと思う。そうして、諸君の前で私自身の思い出に遡りつつ、彼がわれわれの本質の奥底に浸徹し、そこに彼の精神と彼の意志との力強いしるしを刻みつけたところの、その神秘な道筋を見いだすことを試みてみようと思う。
 ベートーヴェンの音楽についての私の最も古い二つの思い出、私の最初の彼との邂逅というものは、こうである――
 八月の或る静かな日の午後に、スイスの或る伽藍の中で聴いた『田園交響曲』。戸外の小鳥たちのぴよぴよがオーケストラの鳥たちの声と入り交じっていた。その以前にこの音楽のことを私はまったく知らなかった。そうして一瞬間の後には、それが音楽だということをさえ私はもう忘れてしまっていた。まるで夏というものがそこへすっかりはいり込んで来ているような気持がした。私は太陽に照らされた自然のざわめく夢想の中にひたって恍惚としていた……

 ただ一箇所意識して正した所がある。第七節後鳥羽院関係の叙述の終近く、初版には「上皇の風雅であり、遊びであらせられる。しかしまたかくの如く困難な時代には、上皇には上皇の抒情があらせられる」とあった所だけは、この版では今見るように改められている。それは最初の原稿にそうあって、すでにその通り刷り上がっていたのに、当時内務省の検閲において問題になり、どうしても許可にならなかったので、やむを得ず紙型に象眼をして、その頁だけ刷り直したのであった。読者はそのいずれであっても殆ど問題にされないであろうけれども、そうしたどちらでも良いような違いであるだけに、最初の原稿通りにもどして置きたかったにほかならぬ。

寶あればおそれ多く、貧しければなげき切なり。人を頼めば身他のやつことなり、人をはごくめば心恩愛につかはる。世にしたがへば身くるし。またしたがはねば狂へるに似たり。いづれの所をしめ、いかなるわざをしてか、しばしもこの身をやどし玉ゆらも心をなぐさむべき。』我が身、父の方の祖母の家をつたへて、久しく彼所に住む。そののち縁かけ、身おとろへて、しのぶかたがたしげかりしかば、つひにあととむることを得ずして、三十餘にして、更に我が心と一の庵をむすぶ。これをありしすまひになずらふるに、十分が一なり。たゞ居屋ばかりをかまへて、はかばかしくは屋を造るにおよばず。わづかについひぢをつけりといへども、門たつるたづきなし。竹を柱として、車やどりとせり。